院長ブログです
僕の父の印象は、「いつも忙しい人」だ。
母が用意してくれる朝食も夕食も、一緒に食べたことは数えるほどしかない。
幼いころは、寂しさから駄々をこねたこともある。
だが、大学受験を控えたこの歳にもなれば、そんな気持ちを抱くこともなくなっていた。
いや、本音を言えば、やっぱり心のどこかでは、今でも少し寂しい。
希望の大学に進学することになれば、この家を出て行くことになる。
父と会える機会はますます減って、このまま疎遠になっていくのは想像に難しくない。
ある日、勉強に行き詰まった僕は、気分転換に街をぶらぶらと歩いていた。
それほど興味がない服屋を眺めたあと、雑貨屋をぐるりと一周して、本屋で欲しかった参考書を買って帰ろうとしたとき、ある本の前で足が止まった。
それは、2匹のネズミが活躍する児童向けの絵本だ。
子どものころ、父が早く帰って来た日には必ず読んでくれたのが思い出深い。
手に取ってパラパラとめくってみる。
昔は1ページめくるたびに、ネズミたちが何をするのかわくわくして、壮大に感じた記憶があったが、今読んでみると、少しあっけないぐらいだ。
その日の夜、仕事から帰った父に、本屋から買ってきた絵本を見せた。
「ねえ父さん、この本、憶えてる?」
父は少し考え込んだあと、ふっと優しい笑顔になり、本を手に取った。
「懐かしいな、この絵本、好きだったよな」
ネズミたちがお菓子を作るシーンを見て「ここがお気に入りで、なかなか次のページに進ませてくれなかったんだよな」と笑う父に、どこかほっとした。
それから父との関係は少しずつ変わっていった。
仕事で家にほとんど帰らないのは変わらないが、たまの休みには母も交えて映画を楽しんだり、お気に入りの本を紹介したり、共通の趣味がちょっとだけ増えた。
『忙しい父に話しかけるのは悪い』などと、どうして思っていたんだろう。
口では言わないが、父もずっとこうしたかったのだ。
父の本棚に立てかけられたあの絵本が、僕たちの気持ちを何よりも物語っている。