院長ブログです
初めてトマトを育てたのは小学生のときだった。
男勝りなところがあった当時の私は、かけっこや木登りのような遊びが好きで、「じっくり」とか「ゆっくり」というものに全く興味がなく、お絵かきや片付けは苦手だった。
あるとき、母が「一緒にミニトマトを育てよう」と言って種を蒔いた。
最初こそ初めての家庭菜園に興味津々だったが、3日も経つとトマトのことなどすっかり忘れ、私は外を駆け回って遊んでいた。
夏休みが始まる頃、真っ赤なミニトマトができた。
はちきれそうなくらいに膨らんだ採れたてのトマトを最初に食べたのは、毎日水やりをしていた母ではなく私だったが、
おいしいと喜ぶ私を母はニコニコと嬉しそうに見ていた。
他のトマトを収穫していくと、そのうちの1つに穴が空いていた。
どこから来たのか、トマトのあっちからこっちへと、トンネルでも通すように虫が這っている。
「あたしたちのトマトなのに!」
たいして水やりもしていないくせに、虫に怒っている私に、母は「三粒に種」ということわざを教えてくれた。
「お野菜を育てるときは、種を3粒蒔くの。1粒は虫さんのため、1粒は鳥さんのため、残りの1粒が、私たちが食べるぶん。
だから、これは虫さんのトマトだよ」と言った。
納得がいかず、虫を睨み続ける私に、母はこう付け加えた。
「お野菜は虫さんや鳥さんがいてくれるからできるんだよ。ありがとうって言ってあげて」
まだよく理解はできなかったが、しぶしぶ「…ありがとう」と口にすると、虫がぴょこっとお辞儀をしたように見えて、私の怒りは少し消えた。
翌年、私はミニトマトの苗を買ってもらった。
水をあげたり、雨が降ったりすると、なんだかトマトが嬉しそうに見えて、毎日眺めるのが楽しみになっていた。
虫や鳥に少しくらいあげてもいい。
そうしてゆっくり、じっくり育てたトマトを収穫したとき、浮かんだのは母の顔だった。
「今年はお母さんが食べてみて。私は4粒め!」
採れたてのミニトマトを母のもとに持っていくと、一瞬目をぱちくりとさせたあと、ふふっと笑って母は「ありがとう」とトマトを頬張った。
あれから数十年が経ち、我が子のせっかちな性格を見ていると、当時の自分そのままのように感じる。
母もこんな気持ちで見守ってくれていたのだろうか。
次の夏は、娘と一緒にトマトを育ててみよう。ふと、そんなことを思った。