院長ブログです
僕の家の近所に公園がある。午前中は近所の親子連れ、午後になると小学生たちが集まる、小さいながらも人気の公園だ。
でも最近、この公園で異変が起きている。夜遅くになると若者たちが集まり、大騒ぎをしているのだ。
その声は家の中まで聞こえてくるほどで、翌朝には、ペットボトルのごみや煙草の吸い殻が大量に散乱している。
あまりの悲しい状況に近所の人たちもあぜんとしているほどだ。
ある日、通勤の際にふと気付いた。公園がきれいになっているのだ。
昨晩もまた大騒ぎしていたはず…。
心を入れ替えて片付けたのか?いや、それはないだろう…。
でも、やっぱり大騒ぎの夜の翌朝でも公園がきれいな状況は続いた。
週末の朝、朝早く目が覚めた僕は早朝の散歩に出かけた。
途中公園に寄ると、おや、今日はごみが散らかっている。
しかしそのままのんびりベンチでコーヒーを飲んでいると、年配の夫婦が大きなごみ袋を持ってやってきた。(この2人が掃除をしてくれていたんだな…)と思いながらも、自分が何もせずのんびりコーヒーを飲んでいた罪悪感から、僕はそそくさとその場を立ち去った。
その日の午後、また公園の前を通りかかると、朝見かけた夫婦が孫と一緒に遊んでいる姿があった。小さな女の子はとても楽しそうにしている。きっとこの夫婦はかわいい孫をきれいで安全な公園で遊ばせてあげたかったのだ。
きっと若者たちは掃除をしてくれているこの2人の存在に今は気付かない。
しかし、何年か後、自身に子供ができ、公園に連れて行く頃になって思うのだろう。
「あの頃、俺たちの後始末は誰かがやってくれていたんだ…」
次の週末、また僕は早朝の散歩に出た。今日もまた公園は散らかっている。
僕はペットボトルを拾い上げ、ごみ箱に投げ入れた。